現代語訳

瀬織津姫大神に冀ふ詞 現代語訳(2019年3月6日朝日新聞掲載)

 

謹み敬って(山の上の水をつかさどる神である)高(たか)龗(おかみ)(や渓谷の水をつかさどる神である)闇龗(くらおかみ)(と同様に水の神である)※1瀬織津姫大神に申し上げます。あなた様は「大祓詞」という祝詞に記載されている神様です。「大祓詞」は六月と十二月の祓えの行事のたびに唱えられている祝詞で、日頃民衆に近しいところにある祝詞です。あなた様は天照大神の荒魂※2とも言われ、(江戸時代の学者である)本居宣長は(『古事記伝』の中であなた様を※3)「禍津日神」という神と同じものだと言っています。(それは)伊弉諾尊が黄泉の国から帰って来た時、(きたない場所に行ってきた自分の体をきたないと言って)川の半ばの瀬で体を洗った時に禍津日神が生まれたからです。古くから公共に認められた女神は天照大神ですが、建物の背面に設けられた扉に隠れるようにしながら、民衆のもろもろの罪穢れをことごとく祓ってくださるのはあなた様のお仕事でした。(天岩戸の際に神々が唱えたように、天照大神にも)まして尊い神です。(そのことが民衆に知られていないのはあなた様が神の世が終わって)人の世がはじまってから、隠されてしまった神様だからです。(あなた様は)闇を見聞きし、黄泉を覗きこんでも闇に呑まれることなく、堂々としている神様です。そこで特別にあなた様にお願い事を申し上げます。去る2011年3月11日に起きた地震によって、災いが数多く起こり、民衆の暗い心はすすがれることなく、(まるで)吾妻山の内部にたまっているマグマのようにわだかまっています。差し障りがあるので言葉に出すことはできませんが、言うに言われないことが喉元にまで(来ていますが)声がむせびふさがり、闇の瀬戸際にいて泣き伏す者たちが多くいます。これからも重い枷を負って生きていく民衆を哀れと思っていただいたならば、水には必ず波がつきものであるように、民衆(のそばに寄り添って)見守り、闇を目の前にしても病気になること無いようにしてください、と恐れ敬いながら申し上げます。

 

※1

高龗、闇龗は直接にセオリツヒメと関係する神ではないが、水にかかわる神名として瀬織津姫の名を導き出す縁語として用いた。また、「高」「闇」が本文の内容と象徴的に関わる機能をもたせ、「おかみ」が「大神(おおかみ)」と韻を踏むようにした。

 

※2

セオリツヒメがアマテラスの「荒魂」であるという説は、「中臣祓訓解」(『大祓詞注釈大成 上』)等による。

「伊弉那尊ノ所化ノ神。八十枉津日(ヤソマウツヒ)ノ神ト名ヅクルハ是也。天照大神ノ荒魂(アラミサキ)ヲ荒祭ノ宮ト号ス。悪事ヲ除ク神ナリ。随荒天子ハ焔魔法王所化也。」(「中臣祓訓解」より)

 

★「荒魂」については「中臣祓美曾加草」(同『大祓詞注釈大成 上』所収)に「〇扨荒魂トハ アライ魂、現ハルル魂、新タマル魂。動ク方ナリ。事ヲ取テ行フト云フカラハ、荒魂テナクテハスマズ、岩戸前ニテ天照太神ト、造化ノ天日ヘモ御詫言(ハビコト)ヲ申上ゲマスルト云ハ、ナゼナレハ直ニ天照太神ヲ祭ルニモ、岩戸ニ入リ静(シヅ)マツテ(和魂是也)、御座ナサレ、殊天照太神ハ天位ニ御即ナサレテ御座(オハシマス)故、直ニ事ヲ御執行(トリオコナヒ)ナサレスシテ、天下の政ヲ御下知遊被、皆アナタノ御心ノ働キナリ。其ノ働クト云カ荒魂ナリ。働所ヘ以テ参ズハ、祈祷ハカナハヌゾ。働所ハ天日ナリ。」とある。おそらくこの解説者は和魂と荒魂について統治者と役人のような関係をイメージしている。古代中国で北極星が天帝になぞらえられ、夜空の一点にとどまるのに対して、他の星々がその周りを廻りながらさまざまな神々としての役目を果たしていると考えていたのと似たような考え方を導入しているのではないだろうか。つまり、和魂であるアマテラスは統治者や北極星のように、中心にいて動かない。それに対して荒魂であるセオリツヒメは下級役人や北斗七星などの星々のように動き働くという考え方だろう。ただし、それを一つの人格(神格?)の霊魂の分裂として、どう納得していたのか、疑問が残る点ではある。仏教の密教宗派で不動明王を大日如来の化身とする考え方があるが、そうした考え方から影響を受けているのかもしれない。

 

※3 本居宣長『古事記伝』「六之巻 神代四之巻(御身滌の段)」

於是詔之、「上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱」。而、初於中瀬随迦豆伎而。

(ここに於いて次のように詔(の)る。「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は瀬弱し」。而して、初めて中つ瀬におりかづきて)

滌時、所成坐神名、八十禍津日神(訓禍云摩賀、下效此)。次大禍津日神。此二神者、所到其穢繁國之時因汚垢而所成神之者也。

(そそぎ給う時に、成りませる神の名は、やそ禍(まが)つ日の神。次におおまがつ日の神。このふた神(ばしら)は、かのきたなき繁き国に到りましし時の汚れ垢に因りて成りませる神の者なり)

○随ノ字は降の誤リなるべし。(中略)中瀬爾淤理(ナカツセニオリ)と訓べし。書紀他田(ヲサダ)ノ宮の巻に、下ニ泊瀬中流-(オリヰテハツセノカハナカニ)などあるさまなり。大祓ノ詞に所謂(いわゆる)瀬織津比咩(セオリツヒメ)は比(コ)の故事(フルコト)もて称(タゝヘ)たる御名にて、瀬降(セオリ)の意なり。【今此(コゝ)に大神の、穢を滌ぎ去(ステ)たまはむとして、瀬に降(オ)りたまふと、彼ノ神の大海原爾持出奈武とあると、全く同意なるを思ふべし。猶よりどころあり。次の禍津日ノ神の處に云り。引合せ見よ。】

○八十禍津日ノ神(ヤソマガツビノカミ)、大禍津日神(オオマガツビノカミ)。禍(マガ)のことは次に云べし。津(ツ)は助辞、日(ビ)は濁る例にて【借字なることはさらなり。】次の直毘(ナオビ)の毘(ビ)も同じ。此ノ辞の意は、産巣日(ムスビ)ノ神の下【傳三の十三葉】に云り。八十(ヤソ)は禍(マガ)の多きを云ヒ、大(オオ)は甚(ハナハタ)しきを云にや。書紀には大禍津日は無し。又の一書に大綾津日(オオアヤツビ)ノ神あり。【三代実録三十五に、下野ノ國綾津比ノ神。】阿夜(アヤ)と麻賀(マガ)と同き由前(まへ)に云り。【傳五の三十四葉】遠ッ飛鳥ノ宮ノ段に、八十禍津日ノ前と云地ノ名あり。【倭姫ノ命ノ世記に、荒祭ノ宮一座、皇大神の荒魂(アラミタマ)、伊邪那伎ノ大神の所生(ウミマセル)神、名ハ八十枉津日ノ神也、一(マタ)ノ名ハ瀬織津比咩(セオリツヒメ)ノ神是れ也と云り。此書は偽書なれども、此神を皇大神の荒魂と云こと由あり。下に云べし。これらは古傳説ありてや云つらむ。また瀬織津比咩は此神の亦ノ名といへると、右にいへる考へと、引合わせて見べし。】さて世(ヨ)ノ間(ナカ)にあらゆる凶悪事邪曲事(アシキコトヨコサマナルコト)などは、みな元(モト)は此ノ禍津日ノ神の御霊(ミタマ)より起(オコ)るなり。其由は下に委く云べし。

(中略)

○因ノ字は、所到の上にある意に看(ミ)て、時之汚垢(トキノケガレ)とつゞけて心得べし。【此方の漢文章には、かゝることつねに多し。】文のまゝに看(ミ)ては、いたくことたがへり。さて此(コゝ)の文(コトバ)をよく思ふべし。世ノ中の諸の禍害(マガコト)をなしたまふ禍津日ノ神は、もはら此ノ夜見ノ國の穢より成坐るぞかし。あなかしこ\/。(及川注、「\/」は昔の繰り返しの記号)

 

 

★本居宣長はセオリツヒメを悪の神だとしているが、ここまでに参照した文献では、悪を除く神だとしている。

『古事記』には、イザナギが黄泉の国から帰って来た際、瀬に降りて体を洗うエピソードがある。この時、洗い落とされた黄泉の穢れから生まれたのが「マガツヒ」という神である。「瀬に降りる」という言い方と「瀬織(セオリ)」の音が近いため、セオリツヒメとマガツヒは同じ神であるとするのが、本居宣長の解釈である。

大祓詞では穢れを持ち運ぶ善神とされるが、古事記(あるいはその解釈)では悪いことの原因となる悪神とされる。セオリツヒメは両義的な神であると言える。善悪の両義性をもつことについて宣長がどのように納得していたのかはよくわからない。なお、宣長も「倭姫ノ命ノ世記」という文献を参考にしている。

柳田國男の『妹の力』と折口信夫の「水の女」は、こうしたセオリツヒメの特異な性質を理解するために重要な文献であると思う。日本人の性別役割論、共同体論、精神分析的な意味での自我論など、多岐にわたる問題の根を解き明かしてくれるのがセオリツヒメなのではないかと、今後の研究に期待している。

 

【参考文献】

『古事記伝 二』 本居宣長撰 倉野憲司校訂 岩波文庫 昭和16年

『大祓詞注釈大成 上』宮地直一 著 ; 山本信哉, 河野省三 共編 内外書籍株式会社 昭和16年

※このページの引用箇所の表記はパソコン画面での読みやすさを考えて改変しています。

 

詩集『えみしのくにがたり』に収録した、祝詞の現代語訳を掲載します。

「東北の福島市の偉大な巫女をたたえ申し上げることば」

儀式の司会者「神職にある人、もろもろ申し上げ事を言いなさい。」

神職にある人「はい。
東北の福島市の偉大な巫女をたたえ申し上げます。
(あなたがたは)『虎女』、『おろす』というお名前で、
おのおの、鏡石という岩石の神や、樹木の神にお仕えしています。
麗しい衣を着て、裳(はかま)をはいて裾を揺らめかせています。
勾玉をたくさんつらねたものを手首に巻いて、
吾妻山の「ヒカゲ(さるおがせ)」という植物をたすきにかけて
髪をほどいて「マサキ(つるまさき)」という植物を頭に巻いて
信夫山の笹の葉を結び束ねて手にもって
桶状の容器を伏せてその上に上がって踏んで音を出して
神がかりになって踊り、拝み、神にお仕えしています。
このように福島市の偉大な巫女が
福島市を穏やかで平穏な場所であるように、とお祈りしてくださるために
福島市は固い岩のように、ずっとそこにある岩のように幸いであるでしょう。
ですから、福島市の偉大な巫女には、
うずたかく積み上げた捧げものを(ご笑納いただき)、朝日が豊かに空に昇っていくように(いつまでも元気でいてください)と、
たたえる言葉を申し上げます。」

※虎女 福島市岡部のもちずり石(https://antouin.com/about/fumonin.html)の伝説に登場する女性。
※おろす 福島市笹木野に伝わる「王老杉」伝説(http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=767)に登場する女性。
「虎女」も「おろす」も民俗学の考え方では、古代に樹の神や岩の神に仕えていたシャーマンや巫女。
どちらの伝説も悲劇に終わっているのは、狩猟採集社会が濃厚定住社会に変わるなど、
歴史が変化してくる過程で、前世代の信仰や文化を否定しようとする傾向が加わるため。


「原子力発電所鎮めの詞」

謹み敬って福島第一原子力発電所の、
一号機、二号機、三号機、四号機の神々に申し上げます。
あなた方神々におかれましては、
去る三月十一日の大地震大津波の害を被って、
全電源停止により甚だしい損害を受けられました。
(そのうえ、被害は)水素爆発、炉心溶融にまで至り、(あなた方神々が)盛んにお暴れになりなさることには限りがありません。
このように(暴れ)なさるので、この日本の国の、
すべての生きている民衆が、瀬に落ちたように苦しい思いをし、憂い悩んで泣き叫んでいます。
そもそもあなた方神々は、昼も夜も区別なく、
水を沸かしタービンを回転させ雷神(電気)を生み出しました(作らせました)。
その雷神は岩や木を踏み越えて、長い道のりを苦にもせず、
魚の鱗のように(一面にびっしりと建物の建ち並ぶ)都市においでになり、
集まって住んでいるたくさんの民衆を穏やかに(生活させて)いらっしゃいました。
(そうした過去の自らの行いを振り返りなさって)お願いですからよくご存じのはずの神様としての本分にたちかえりなさって、
あなた方神々は雄々しく奮い立ってお暴れなさったりする事はやめて、
もとの神としての素直な気持ちにおもどりなさって、
もとのように神としてお気持ちをやわらげなさって、
神としての本分に立ち返ってお鎮まりくださいと、恐縮し恐れ敬って申し上げます。


「放射性物質の神々に退去してもらうことば」

謹み敬って放射性物質の神々に申し上げます。
そもそもあなた方神々は海によって隔てられた遠い国であるオーストラリアの、
地中深くの異界であるウラニウム鉱山から採掘され、
この日本の東北の地に(※1)ご降臨なさいました。
このように降臨なさって(われわれ人間が)設置しました原子力発電所の圧力容器の中に閉じこもりなさいました。
このように閉じこもって恐れ多くもお体を引き裂いて核分裂なさいました。
このように核分裂しなさいましたところたくさんの放射性物質の神がお生まれになりました。
お生まれになった神の名前は、
ヨウ素の神、セシウムの神、ストロンチウムの神、プルトニウムの神。
あなた方神々は水素爆発によって大気中に拡散し、
群がり騒ぐ蠅のように国中に満ちて放射線を放ち、
たくさんの悪いことを余すところなく起こしました。
このようにたくさんの神が出たならば、
清らかにケガレを祓う力のある木(※2)の上下を切り去って、
多数の物を置く台に十分に置いて、
清らかなスゲの上下を切り去って、
中間を多くの針で裂いて、神聖でかつ立派であるこの祝詞を唱えましょう。
このように唱えたならば吾妻の峰に鎮座なさっている、
ほおずきの(ような目をした)大蛇の神であるアラハバキの神は、
天の入り口にある堅固な門を押し開いて、空の厚い雲をかき分けかき分けやってきて願いを聞いてくださるでしょう。
高い山のはし、低い山のはしに登りなさって、高い山の雲霧、低い山の雲霧をかき分けてやってきて願いを聞いてくださるでしょう。
このように願いを聞いてくださいましたならば、
(△→)暴れる放射性物質の神々を神の祓うこととして祓いなさり神のやわらげることとしてやわらげなさって
この東北の国からは地中の国におうつり出なさって、「私の領地だ」と領有したまえ、と。(→△)
(▲→)風の起こるところから吹く風が天の厚い雲を吹き払うことのように、
朝の霧や夕方の霧を朝風や夕風が吹き払うように、
大きな港に停泊している大船を船の先やうしろの綱を解いて放して大海原に押し放つ事のように、(→▲)
鱗を打って這いうねりくねって(※3)(赤ん坊がかぶって生まれてくるという)胎衣を蛇が脱皮して(新生児のように生まれ変わる)ように、
放射性物質を取り除こうとするだろうことを(お願いします)。
(▲→)(そうしたならば放射性物質は)高い山のはし、低い山のはしから勢いよく降下する激流の、
早川の瀬におられるセオリツヒメという神が大海原に持っていってくれるでしょう。
このように持っていってくれたなら海の潮流のもみあうところ、たくさんの航路のあつまりあうところにおられる、
ハヤアキツヒメという神が(海にでた放射性物質を)蛇のようにガブっと勢いよく呑んでくれるでしょう。このように勢いよく呑んだならば、
息を吹くところにおられるイブキドヌシという神が地下の国に吹き放つでしょう。
このように吹き放ったなら、地下の国におられるハヤサスラヒメという神が、(→▲)
アシカの皮の敷物を何重にも敷き、さらにその上に絹の敷物を何重にも敷き、
その上に(放射性物質の神々を)座らせて、たくさんのごちそうをお供えして飲食のもてなしをするでしょう。(※4)
(このようにもてなされるのだから)放射性物質の神々は神としての本分に立ち返って(民衆の気持ちを)推し量りなさって
お気持ちを朗らかに平穏にして(この願いを)お聞き届けになって、
(△→)祟りなさったり雄々しく奮い立たれたりすることはやめて、
あなた方神々の母親のいるふるさとの国、地下の異世界に退去なさいまして、神としての本分に立ち返ってお鎮まりください、と、
祝詞の文言を述べさせていただきます。(→△)

<参考文献>
『古事記・祝詞』(「日本古典文学大系」)
特に前半は「六月の晦の大祓」に、後半は「祟神を遷し却る」よっている。
混在するところには「六月の晦の大祓」には「▲」を、「祟神を遷し却る」には「△」をつけ、参考箇所がわかるようにした。

<注>
※1 高橋富雄説による。『高橋富雄東北学論集 地方からの日本学 第六集 もう一つの日本』参照
※2 吉野祐子説による。『日本人の死生観 蛇 転生する祖先神』参照
※3 「古事記」上巻の豊玉姫が八尋鰐になって出産する箇所より。
※4 ※3に同じ。


「古代の蝦夷の神アラハバキの大神に復活することを願うことば」

謹み敬って東北にいるアラハバキの大神の面前にて申し上げます。
そもそもあなた様は私たちの古代の先祖であるタニチヒコたちが神聖な場所を清らかにして祀っていた足の長い蝦夷たちの神様だと伝え聞いています。
その昔この土地にはさまざまな蝦夷の部族がいて、あちこちの尾根や険しい岩山に住んでいました。
陸では雪の上を蹴って駆け抜けたくさんの鹿や猪を狩り、海には小舟を浮かべて一日中魚を釣り、春には雪を割って芽吹くフキノトウの若菜を摘んで、秋には紅葉の葉を踏みしめながら月を眺めて塩を運び、心配なこともなく穏やかに歌い遊んでいました。

しかしヤマトの王は多くの軍勢を遣わし、私たちの祖先を鳥の群れを追うように追い散らしました。
ここにヤマトの国は国の名前をとって日本国と名乗りました。(※1)
日本列島の蝦夷たちはみな黙し、あなた様アラハバキの大神は説諭されて身を隠してしまわれました。
ところが去る二〇一一年三月十一日、千年に一度の地震により大津波がきて、山川が動くほど国中が揺れました。
ころがるテトラポットが防波堤を突き破り、陸には漁船がつかみ潰されて放り散らされ、海では親子、恋人同士の命が流れ去りました。
そのため、多くの民が涙したことは限りがありません。
さらに悪いことには、原子炉の中にこもって発電をしていた放射性物質の神たちが国中に満ち、これによって日常は闇のようになり、多くの災いがたくさんおこりました。
損害を受け帰還が困難となった区域には、飼育されていた動物たちが人間を呼んで泣き叫ぶ声が響いています。
このような事態になったのであなた様(アラハバキの)大神の民たちは嘆き悲しみ、あの世への道をふさいでいた岩が開いてしまったように、心は萎えたどたどしく歩くこともできないでいます。

あなた様(アラハバキの)大神にお願いするのは、この国に集う民のため、千年二千年の眠りからさめて、昔のようにもう一度新たに復活していただきたいということです。
我々が大神にこのように願うのは、それでなくとも騒がしいこの世の中にさらに諍いの種をまこうとするためではありません。
(あなた様アラハバキの大神が)安産の神であるように、新しい時代の幕を開けるため、我々の魂を奮い起こし、命の源の火種に火をつけていただきたいのです。
命の源は丹田を養い丹田は心を養います。このように心が養われたならば、さまざまに絡みあう難しい問題を直視することができるでしょう。
このように直視したならば多くの人によりよい神のような考えがひらめき、自ずと世界中が光り輝くようになるでしょう。
このように申しますのであなた様(アラハバキの大神も)ご機嫌よく、神としての本分に立ち返って私たちの願いを聞いてください(と、)この祝詞を申し上げます。

*1 高橋富雄説による。


「三島由紀夫原作『美しい星』の映画制作無事と興行成功とを祈ることば」

日本の素晴らしい大空の上にいっぱいに広がってあるという、見えがたい(そしてあなた様が生涯課題となさった虚無の瀰漫する現代日本の上空にある)あの世の神の世界にいらっしゃる三島由紀夫先生の魂の眼前を拝み申し上げて恐れ敬いながらも申し上げます。
このたび、あなた様がお書きになった小説を原作とし、吉田大八が監督となって映画「美しい星」の制作を企画することになりました。
そもそもあなた様がお書きになった『美しい星』は宇宙人を主人公としていて、あなた様の作品は数が多いとは言っても、(その中でも)とりわけ人知でははかりがたい、不思議なものであり、神秘的な加護が著しいものです。
紙面にうつ伏せるようにしてじっくりと研究しますと、この作品はキリストの生涯を模している小説で、リリー・フランキーが演じる主人公大杉重一郎は「一」と「一」とを「重」ねた十字を名前に負っている人類の救済者キリストの事を描いているのだと分かってきます。
亀梨和也が演じる息子一雄は、わずかの土地を対価としてキリストを売った裏切りのユダです。
中島朋子が演じる妻伊余子は、(キリストが捕まったとき、「お前はキリストの弟子だろう」と聞かれて)三度キリストを否定する弟子のペテロです。
橋本愛が演じる娘暁子は、処女懐胎をした聖母マリヤでもあり、キリストである父重一郎を責め苦しめる「暁の明星」堕天使ルシファーなのでしょう。
重一郎に敵対している羽黒たちは荒野でキリストと争う悪魔なのでしょう。
羽黒の説明する、人類を滅ぼす「三つの関心」である「道具への関心」「人間への関心」「神への関心」とは、(ドイツの哲学者)ハイデガーが『存在と時間』で説明した現存在の特質を踏まえたものでしょう。 「聖書及びその解説書を一時愛読した」(※1)というあなた様のキリスト教への関心や、またその思想影響を詳細に研究して明らかにした人は未だいません。家族にあざむかれ敵との戦いに負け、孤立無援に陥る主人公は、あなた様が聖書を解釈してえぐりだしたキリスト像なのでしょう。あなた様は聖書を「人類を救おうとする救い主を、人類自身が裏切り、孤立させ、責め殺すという破調の物語」と読んだのでしょう。そうではありますが、ショーペンハウアーは、キリスト教の核心は「共苦」であると説明しています。人の世における救済の欠落こそがキリストの共苦による真の救済を生むという大逆説がキリスト教の神髄です。あなた様の作品群における逆説は、あるいはこのキリスト教(の神髄)に倣ったものでしょうか。あなた様の十四歳の時の作品には「黙示録」を題材にした「第五の喇叭」という詩があります。よくよく考えてみますと、日本はあなた様の幼年期からずっと戦争の中にあり、空襲を受けて燃え盛り、火と硫黄とに焼けただれた「黙示録」の世界があなた様の感情のふるさとであり、(神の)お名前が書かれた額をさらすべき、呪いのない栄光の世界だったのでしょうか。その幻像が焼け尽くした後、息を詰めるようにして敗戦後の日本の虚栄虚飾を絢爛豪華に(小説に)活写しながら、筋肉を鍛え、私兵を養い、芝居に出て、映画の主演をつとめ、(そのようにして)「仮面」を被ってこらえながら、その(仮面の・心の)うちに隠していたのはどのような真の感情なのでしょう。
「僕も元氣がなくなりました。危機感は僕のヴィタミンなのに、ヴィタミンの補給が絶えてしまつたのですからね。去年までは僕にとつて僕自身のGötterdämmerungの希望があつたのですが、今ではその希望もなくなりました。皆が、たのしく生きのびること、を選んだのです。」(※2)
あなた様の求めた「Götterdämmerung」とは、そもそもどのようなものだったのでしょう。ハイデガーの理論をもとに人類の滅亡を説明するということは、人間の血肉がすべて毒に変わって身体を毀損し命を失わせるのだと言っているのにも等しいことになるでしょう。 (そうであれば)『美しい星』は虚無と絶望の書物なのでしょうか。 (いや、)その逆説を解くことができたならば『美しい星』は(現代という)迷宮をうまく巡るための一筋の糸になるのでしょうか。
現代を危機の時代とは言うのも愚かな(ほど当然の)ことです。非常事態の時に日常にはない発想で行動しようとしたなら、常識をかけ離れた人材を求めなさいと聞いたことがあります。常に危機意識のさなかにあって危機を「ヴィタミン」とまで言うあなた様の思いに呼応するものを感じることができるならば、現世の民衆が危機の時代を生ききる糧になるでしょう。映画公開は、影が物の形に従うように、響きが音に応じるように、あなた様の思想の一端に触れる目に見えない神秘的な約束事となるでしょう。願うならば、(あなた様の)広い厚い恩恵をありがたくいただきまして、出演者撮影隊がもろもろ心を合わせてまっすぐな正しい真心を持って分担されている仕事に従事する様子をいとおしいとご覧になられて、撮影制作が快調無事に終わるようにしてください。また興業に当たってはもろもろの災い事があったならこれを祓って清めていただき、観客数がいよいよ増すように増やしていただき、朝日がぐんぐんと空にのぼっていくように栄えさせてください(※3)と申しますことをお聞き届けくださいと恐縮し恐れ敬って申し上げます。

※1「新潮」1998年12月号「三島由紀夫 十代書簡集」より。
※2『三島由紀夫未発表書簡』中央公論社1998年より。
※3『古事記・祝詞』「大嘗の祭」終結部より。


「水蛭子の神に戦を防ぐ為にお戻りになることを請い願う言葉」

舟の舳先が進める限りの果てなく遠い大海原青海原におられる大いなるヒルコの神に申し上げます。
そもそもあなた様はイザナギの神イザナミの神という二人の夫婦の神が結婚なさって神の寝室に共寝してお産みになった、愛し子であり八百万の神の長子です。
そうではありますが「年齢が三歳になったのにまだ足が立たない」と神に追放されて芦船に入れて流されました。
あなた様が諸外国に渡っている間に日本は大きな戦争に敗れて人類が互いに争い国と国とが戦うことには憂慮すべき点が多いことがわかりました。
そのためここに日本国憲法を制定し、その第九条には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と記述しました。
これによって、世界中の国々も共に安心して守られ恵まれ栄えると(言って)喜びました。
しかし去る二〇一一年三月十一日の千年ごとの地震の災いによって国が弱っていくのを恐れる者が多くなり、悪い戦争を起こそうとしてたいへんに騒いではなはだしい状態になりました。
こうした状態なのであえて発言して大いなるヒルコの神に申し上げます。
あなた様は千年も二千年も長い間海を隔てた諸外国にひたすらに(行かれて、海外の人や神とも)面と向かって気おくれしない神です。
また詳細に諸外国の神々や民衆を訪ねて残らず外国のことを知っている神です。
(そうでありますから、あなた様も)よくご存じの神の本分に立ち返りなさって、海原からこの日本列島にお戻りになって、戦争を防ぐために善い手立てをお取りください、と請い願います。
外国の神も言っています。「その日、わたしは足のなえた者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を寄せ集める。わたしは足なえを、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。(※1)」と。 弱さというものは人間を祈りに導いてくれる使いのようなものではないでしょうか。
日本国憲法第九条は、全世界の国々がすべて掲げるべき理想の法律です。
今の宇宙でこのことが成就できないのであれば、(今の宇宙が滅びて、その先に生じた)次回の宇宙ででも追求していくべき祈り(の言葉)でしょう。
こうしたことをお聞き届けくださいましたならば、連なる山のように机に積み上げて奉る供え物を、あなた様のお気持ちが晴れるまで、良い供え物だ、満足な供え物だと穏やかにお召し上がりになってくださいと、(申し上げて)この唱え言を終えさせていただきます。

※1『旧約聖書 新改訳』「ミカ書」(4章)より。